こんな記事を見つけました。
「戦略的不登校」という言葉があります。
理由はなんであれ、とにかく
「自分の意思で”学校に行かない”ということを選択する」
ということなのですが。
少し調べてみるだけでも、これまでのケースは前掲のように
なんらかの理由で学校に行けなくなってしまった人たちへの「救済措置」的な
ニュアンスで語られることが多いこの文脈ですが、私の立場は少し違います。
救済措置の場は必要だとは思いますが、それ以上に、もっと当たり前に
こうした多様な教育の機会、選択肢が平等に存在することを望みます。
そしてその担い手になれたらなという思いがあります。
いままでの学校教育を否定するつもりはありません。
たしかに必要なことだと思うし、関係各所の人たちは最善を尽くしていると思う。
私自身も幼稚園に始まり、小学校〜大学、そして就職と
なんの問題もなくストレートに上がってきて幸せな方だと思います。
ここで学んだことや、出会った人たちとの縁は一生の財産
ほんとうに感謝しています。
でもその一方で、ところどころ疑問があったことも事実。
先生が全然楽しそうじゃない。むしろ大変そうだったり
学校ってなんのためにあるのかな?って思うことも結構あって。
それで私は、この現状を変えたいし、まずその真実を知りたいと思って
教員養成学科ではなく、あえて「教育学」を学ぶことのできる
筑波大学に進学したのでした(あと、とにかく一人暮らししたかったというのもある)。
でも楽しい大学生活に遊びまわってしまい(笑)
満足に勉強できたかというと決してそうではなかったと思います。
その中で出会った本で最近、特に復習したいと思っているのがこれ
私にとって「人を幸せにし自分も幸せになる」方法とは、
こういう選択肢の一つを
いやきっとそうだな、と
改めて自分のゴールを再確認中です。