なにもない故郷が、嫌いだった
私は「何もない」都留が嫌いで外に出ました。
18年間都留で生まれ育ったのち、県外の大学に入学。
卒業後は都内の人材教育コンサルティング会社で5年弱働きましたが、
昨年、退職し都留市にUターンしました。
本っ当にびっくりした。こんなに幸せでいいんだろうか。森くん、みんな、ありがとう。泣いた。
都留に戻ってきた理由は、「なんだかんだ落ち着くから」です。
学生時代も、会社員時代も、毎年最低2回は必ず帰ってきていましたし
自分自身が行き詰った時、なんとなく肩の力を抜いて
リフレッシュしたいときに自然と足が向いたのが、都留でした。
東京に飛び出して、まなんだこと
東京にでて、私は、そんな「故郷」のない人の存在を知りました。
家庭の事情で、ご両親が早くにお別れしていて、
母方の実家の田舎に行くことがなくなってしまったとか、
もともと都会生まれのご両親で田舎暮らしの経験がないとか。
意図したわけではないのですが何度も、
そういった方々を都留でアテンドすることがあり、
その経験を通して「人は、心のふるさとを欲している」ということを
感覚的ながら察知してきました。
・紅葉って、こんなに綺麗だったっけ。思わず運転中に独り言でつぶやいてしまうほど山々は鮮やかに色づいて・去年の今ごろはちょうど1日もこっちには帰らずにいたからこんな景色が広がってるなんて知る由もなく。・雲の切れ間から光が差し込んで青空と色づいた葉のコントラストがぐっと引き立てられるように・ちょっとくらい曇り空があったほうがそばに眠っている幸せの価値をぐっと輝かせてくれるから・やっぱり意味のないものなんてひとつもないのだと思う・#gjtfarm #はたけ日記 #お久しぶりです #お昼休みの #パトロール
移住者の方がよっぽど情熱を持っている
また、一昨年は
都留に移住されてきた方々との交流を持つ機会をたくさんいただきましたが
その中で、まったくの市外・県外からやってきた方々の方がよっぽど、
都留のことを「好き」と熱く語ってくれることに感動し嬉しくなると同時に、
少しさみしさも感じていました。
どうしたらもっと、「いま」このまちに住んでいる人が
自分の住む場所に誇りを持てるようになるのだろう。
いや、誇りはすでにあるはず。
でもそれを表現する意義と価値、具体的な方法を知る機会がなかっただけだ。
ならばそういう機会を、作ってみたらどうだろう。
都留を「第2のふるさと」化していくことを通じて。
そんなきっかけから、とあるプロジェクトを企てています。
【まちづくり・地域おこしに興味のある方へ】田舎フリーランス養成講座@都留を開催します! - ならみおダイアリー
居場所をつくる、ということ
どこにいても、何をしていても、いつでも帰ってくることができる場所。
それが私にとっての「ふるさと」。
自分の「ふるさと」を自分たちでつくる、まもる、それを仕事にできる、ということ。それをこの1年間は、プロジェクトを通して発信していきたいと思っています。
そして現在は「地域おこし協力隊」として活動を開始しています。
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