ならみおダイアリー

27歳で会社を辞めて、地元山梨県都留市にUターン。地域おこし協力隊 / 古民家ゲストハウスオーナーをしています。

地に足をつける。


都留の家を貸してくれているオーナーが、お正月ぶりに帰都留したとき
今後のゲストハウス運営のこと、私自身のことなど
率直にフィードバックをもらいました。
 


一度にたくさんのことはできない。焦らなくていい。
掃除や、植物の世話。毎朝一杯、美味しいお茶を淹れること。
ご近所の方々にちゃんとあいさつすること。
そういう基本的なこと、足元からこつこつと。
調子ばっかりよくて、基礎をおろそかにしてた自分。
わかるひとにはわかるのだとおもいます。
 
でもわかっていても、普通それをわざわざ指摘したりはしない。そりゃそうだ。わたしもよく、人をみていて「ああ、残念だな…」と思うことがあったりするのですが、たいていスルーしてたなぁ。
そんな中、こうしてわざわざ、直接つたえてもらえたことに、深い感謝と、至らない自分へのやりきれなさとで、胸がいっぱいになりました。
いっぽう。
 
私が地域おこし協力隊に任命いただいたことについて
「親のコネなんじゃないのか?」
というような内容のクレームが匿名で市役所に届いたそうです。
 
私は本文を見ていないのですが、
そのメールを受信した職員の方と、課長が教えてくれました。
文章を見る限り、私と直接接点を持ったことのある、
わりと親しい間柄のひとではないかと。
 
「どんなに親しそうにしていても、敵はいる。気をつけなさい」
そう忠告を受けたのだけれど、何を気をつけていいかわからなかったし、
とにかく悲しい気持ちになりました。
どんなにネット上で発信をしていたとしても、
伝わりきらない部分があったり、誇張されて見えてしまったり、
本来の意図とは違った受け取られ方もされかねない。
ふたつのできごとの中で、そんなことを実感しました。
面と向かって、自分にフィードバックをくれる人の有り難さ。
自分に対するやり切れなさと絶望と共に味わって、
その日の晩はずっと泣いてました。
たまた居合わせた旦那さんは特に理由も聞かずに、
ただそばにいてくれました。
 
その晩から、何かが変わったような気がしています。
誰かに「すごいね」と言ってもらいたくて
やることの薄っぺらさを実感したというか。
 
その日から、
人の評価よりも
「自分が心地よくいられているか」「納得がいっているか」のほうが
自分にとって大事なことだなと思うようになりました。
 
自分ではない何かになろうとして、つい人と比較して落ち込んだり
もっと頑張らなきゃ、このままじゃダメだ、と
自分をふるい立たせて空回りすること
よくあったけれど、最近はこのおかげでなんだか落ち着いてます。
 
自分が自分であるということを、良い意味で諦めるっていうか
「全面降伏」で、起きてくること・流れに身をまかせるというか。

 
 
 
「地に足をつける」ってそういうことなのかなぁって。
流れに身を任せてはいるんだけど、大地に根を張っているからこそ
その流れを楽しめる。風を感じられる。
揺れたり倒れたりしても、また立ち上がったらいいから。