土曜日はサカナクションのワンマンライブに行ってきました。旦那さんがチケット取ってくれて、中学校の全国大会ぶりに幕張メッセへ。通常の3倍の数のスピーカーを導入した6.1ch サラウンドシステムによる大迫力の音響に、細胞が震えました。数えるほどしかライブって行ったことないけど、別格であることだけは間違いない。
最先端の技術で表現される音楽…というより「体験」の場は、
意外にも自然そのものを思わせるものでした。
大地から湧き上がるような振動の羅列。
波の音、海の中の泡の音、深い青。音が通ると、風が起きる。
音は耳で聴くのではなく、肌で感じるものになっていて。
炎のように会場を切り裂くプロジェクションマッピングの光に、踊る、揺れる、
木々のような人、人、人。
ライブ会場で瞑想状態になるなんて私には初めての体験で。
結論、素晴らしかった。あれはアートです。衝撃的だった。
こんどこのライブの模様が12月にNHKで放映されるそうです。楽しみ。
もともとサカナクションは結構好きでよく聴いていて。
好きになったきっかけは、Twitterだったかな?
偶然目にした、ボーカル&ギターの山口一郎氏がスランプに陥っている、
という話の記事。
レギュラー持っているラジオ番組で、歌詞が書けないことを悔しがって泣いてて。
「書けなくても、書かなきゃいけない。そうやって雑巾を絞るように曲作りをしてきて、それが音楽を仕事にすることなんだなって思った」と語る一郎さんの言葉に、考えさせられました。ああ、好きを仕事にするっていうことはそういうことだ。決してお気楽で楽しい道なんかじゃない。ここまで真剣、を通り越して狂気の中で音楽づくりをしている人が、いまこの世界にどのくらいいるのだろう。そんなことを思って初めてそのラジオを聴いた日はなかなか寝付けませんでした。
アリーナの後ろの方だったのでちょっとしかみえなかったけど、
ステージに立って新曲とニューアルバムのリリースを発表する一郎さんの姿からは、
その苦しさを乗り越えてきて、やっといま光を見ている、救われたような表情が感じられました。本当によかったね。いつの間にか山口さんサイドに共感を寄せてしまってる私。恐るべき巻き込みの力。ますます山口さん、サカナクションのファンになりました。
私も曲がりなりにもステージに立つ機会や歌わせてもらうことがあったりとかしてよく感じるのは、音楽って、いやそれ以外の芸術もそうだけど、受け手がいてはじめて成立するものだなぁっていうこと。つまり、オーディエンス側も実はその場の空気や、アーティストに対して影響を与える「作り手」側にまわる余地を多分に持っているということです。
このブログだって、読んでくれる人、コメントくれる方、リアルでお会いした時に「読んでます!」って言ってくれる方。そういう人たちがいるからこそ成り立っているし、むしろ私はその方々と、勝手に共同作業しているつもりで表現をしています。そういう影響の与えあいの渦の中にいるということが、どれほどパワフルか。
Aさんがなにかを表現する。それを見たBさんから反応をもらう。その反応って得てして
「Aさんの表現を通じて表出されたBさんの内面」の表現であって。さらにその表現に呼応して、Aさんがまた表現したい何かに掻き立てられて。なににつけても、その繰り返しの連続なのだと思う。
いいー始まりの動機は、いつだって、「私がしたいからする」とか、「あなたに喜んで欲しいからする」という、まっすぐでシンプルなものがいい。出会った場所や、生まれてきた順番に惑わされることなく。「私とあなたの関係」を、僕は深めていきたい。 https://t.co/oZ8RdmdSk1
— ならみお@古民家ゲストハウスあわ (@shigemioden) September 23, 2017
それはライブだけじゃなくて、場づくりしかり、日常生活しかり。
最近とくにそんなことを感じます。
どんどん出してこー。そしてセッションしていこう。
それだけ人生は彩り豊かで深みを増したものになっていくから。