「男女の友情ってあり?なし?」っていうよくある問いに対して、キラキラを振りまきながら「ありでしょ!」って言うフェーズから、いろんな事経験して「ありかなしかっていうか…その問いがナンセンスだよね」って煙草ふかしながら節目がちにぼやける位には大人になったな自分。煙草吸わないけど
— ならみお@古民家ゲストハウスあわ (@shigemioden) 2017年7月17日
愛情と友情どっちをとる?なんてナンセンスすぎること訊かないで。
比べるなんて無理な話。だって立ち位置が違うんだもん。
友情は
なにか共通の目的を持つこと
そのための時間を共有する中で
結果として育まれるものであり
愛情は
それ自体を育むこと・守ることが目的になりうるもの
友情。愛情。
どっちもある人もいれば
どっちかだけの人もいて
どっちでもない人もいる。
そしてそれは、時によって変化することもある。
それ以上でもそれ以下でもないなと。
仕事とか、プロジェクトとか
— ならみお@古民家ゲストハウスあわ (@shigemioden) 2017年7月17日
一緒に何かを作り上げる経験をすることで
友情って芽生えたり育まれたりすると思うんだけど
その作り上げる対象が「生活」(日々の暮らしから、人生設計までで広義の意味で)となると、それは「結婚」になりうるのではないかという仮説
でも得てしてこれまでのわたしは
この2者がごっちゃになっていて、それを
「女であること」「男じゃないこと」のせいにして
無理したり損したり傷ついたりしてきたことが結構あった。
自分が「必要とされている」と
刹那的に思い込むことで自分の価値を確認していたあのころ
わかったようなふりをして
奥底では血の涙を流して
ほんとの涙は、悲しすぎると流れてもこないんだということも知った
旦那さんと去年の夏再会して、結婚して今。
その「パワーゲーム」から降りて
なにもできない、しない、そのままの自分でも
まるっと愛されるという初めての経験を経て、わたしは変わった。
自分は自分、人はひと。
— ならみお@古民家ゲストハウスあわ (@shigemioden) 2017年7月24日
結婚って互いの欠損を埋めるために
惰性でするものではなく
全然違うものどうしが協同作業で作品創りしていく感覚に近いなぁって日々感じてます。
それを面白がれるかどうか、かなと。https://t.co/fEIPo95DSk
「なにがあっても自分の味方」って思える存在が
たった一人いるだけで、
心の底から安心して自分の人生を生きられるということ。
そして自分も相手にとって、そういう存在でいたいと思えることで
こんなにも力が湧いてくるということ。
そして何よりも、こんな経験・体験をプレゼントしてくれた
勇気ある自分自身に
「ありがとう、愛してる」だなと心から思えること。
なにがあっても、大丈夫。
腹の底からそう言えるって、けっこういいもんです。
***
今年10月に開催される講座のヘルパースタッフをしています。
CTN(コミュニケーショントレーニングネットワーク)特別講座「愛の講座」。
第4回となる今回のテーマは、
「男女のパワーゲームを終わらせ、愛あるパートナーシップを築く」
〜 男と女であることを制限から力付けに、一時的な感情から深め続ける探究へ〜
身体的な、社会的な「性差」や
自分自身の中に両方ある「男性性」と「女性性」。
これらを戦わせるのではなく、適切なバランスに統合し
くるくる変わる「頭」や移ろいゆく「心」だけでなく
腹の底から、「身体」で。生きる悦びを感じ、味わい
奥底に眠る創造性を解放する時間。
詳細はこちらへ。
ご一緒できることを楽しみにしています。
で、結局何が言いたいかって題名のとおりで。
— ならみお@古民家ゲストハウスあわ (@shigemioden) 2017年7月31日
男女の仲とかスキャンダラスな何かで騒がれたり噂されたりする位で破綻するような友情だったらそれまでだってことです、なめんな
みたいなかんじかな。夜露死苦